森の記憶を受け継ぐ花、ショウキラン |光なき森の最先端、足元の小さな世界へ

高瀬ダムから湯俣山荘へと続く、比較的平坦な長い道のり。つい先を急ぎたくなるその足元で、初夏のわずかな期間だけ、透き通るようなピンク色の花がひっそりと顔を出します。葉を持たず、光合成もしないこの奇妙な植物は、なぜこの薄暗い森でこれほどまでに美しく咲くのでしょうか。
森の暗がりに現れる鬼神。そして日本の植物学者との関係
ショウキランは、東アジアの山地帯に分布するラン科の植物(準絶滅危惧種)です。一年の大半を地下の薄暗い土の中で過ごし、5〜6月の数週間だけ、落ち葉を押し上げるようにして地上に姿を現します。
大きく反り返り、細かな毛が密生する花びら。その風変わりな和名は、中国の魔除けの神「鍾馗(しょうき)様」の立派な髭面を思わせることに由来します。
さらに世界共通の学名『Yoania(ヨアニア)』は、19世紀のロシアの植物学者マキシモヴィッチが命名したもの。日本で初めて「細胞」や「花粉」という言葉を生み出し、西洋植物学の基礎を築いた江戸時代の蘭学者・宇田川榕菴(うだがわ ようあん)への深い敬意が込められています。
魔除けの神の姿を持ち、偉大な学者の名を冠するこの花は、その名に違わず、植物の常識を覆す驚異的な生態を秘めているのです。
光を捨てて菌に賭ける。森を生き抜く「最先端」の戦略
ショウキランが美しい花を咲かせる背景には、常識を覆すような驚異的な生存戦略が隠されています。
葉を作らないという決断
植物にとって、葉は光合成でエネルギーを生み出せる反面、傷みやすく修復にも多大なエネルギーがかかる「とてもコストの高い器官」です。ショウキランはこの葉をあえて「つくらない」という選択をしました。維持コストのかかる器官を完全に切り捨て、徹底した省エネで生きる道を選んだのです。
菌を「錯覚」させる驚異の仕組み
通常、植物は光合成で作った糖を「報酬」として菌に渡し、お礼にミネラルをもらうギブ・アンド・テイクの関係を築きます。ところがショウキランは報酬を一切渡さず、一方的に栄養をもらい続けています。彼らは菌に対して「自分は報酬を渡している」と錯覚させる特殊な仕組みを持っていると考えられています。
現在ではなく「過去の炭素(エネルギー)」を受け継ぐ
同じく光合成をやめた「ギンリョウソウ」は、生きている樹木と繋がる菌をターゲットにし、木がリアルタイムで作る“現在のエネルギー”を奪って生きています。
しかし、ショウキランの錯覚のターゲットは異なります。強固な木材を分解する「白色腐朽菌」です。生きている木からではなく、かつての木が倒れて土に還る過程で放出される“過去の炭素”を吸い上げ、自らの体を形作っているのです。光を捨て、朽ちゆく木の過去にアクセスする。それは決して退化ではなく、多様で奥深い「最先端の戦略」なのです。
維持コストの高い葉(光合成)を捨てて、見えない足元の菌にすべてを賭ける。一口に「光を捨てる」と言っても、現在を生きる木に頼るギンリョウソウと、朽ちゆく木の過去にアクセスするショウキランとでは、その生き残り方が全く異なります。
なぜピンク色なのか? 足元の小さな世界の連携
あのように透き通る美しい淡紅紫色の花を咲かせるのは、光合成をやめたため緑色の色素(クロロフィル)を持つ必要がなくなり、植物本来の赤紫系の色素(アントシアニン)がそのまま現れているからです。この強烈な色は、薄暗い林床で花粉を運んでくれるマルハナバチなどの昆虫の目を引くための「生存をかけた看板」でもあります。
色の微妙な違いは、共生する菌や土壌の環境によるものではなく、植物自身の遺伝的な体質によるものと考えられています。アントシアニンの量や種類が地域や個体によって少しずつ異なるため、基本的な色合いは「遺伝」と「その土地らしさ」によって決まります。
ショウキランには徹底したこだわりがあります。通常の植物の種子は、発芽するために必要な栄養(お弁当のようなもの)を自ら蓄えています。ところが、ショウキランの種子には栄養がほとんど含まれていません。では、どうやって芽を出すのか。その答えもやはり「菌」でした。発芽し、成長していくための栄養素を、自ら用意するのではなく、周囲のカビやキノコから補っているのです。
さらに驚くべきは種子の運び屋です。花が終わると地表スレスレに果実をつけますが、これを食べるのはカマドウマ。湿った薄暗い場所を好むカマドウマが果実を食べ、フンをすることで、ショウキランが発芽に必要とする「菌類が密集する環境」へとピンポイントで種が運ばれるのです。まさに足元の小さな世界で繰り広げられる、植物と昆虫の見事な関係性です。
過去と最先端が重なる場所、湯俣
ショウキランがここで花を咲かせるということは、湯俣の森が人工的に荒らされず、土や落ち葉、倒木が長い時間をかけて積み重なり、菌のネットワークが途切れることなく生き続けている何よりの証明です。イコールこの花は、「この森がどれだけ長い時間を生きてきたか」を教えてくれる存在なのです。
湯俣の温泉には、太古の地球を思わせる環境で生きる微生物がいます。一方でこの森には、倒木という「過去の木の記憶」を受け継ぎ、菌とのネットワークの中で進化した「最先端の生き方」をする植物が存在します。過去のような環境と、最先端の生き方が、同じ場所に重なっている。それが、湯俣という場所の本当のスケール感です。
定点カメラがとらえた、ショウキランの開花
ここからは、三俣山荘グループのスタッフ、川添花菜による、ショウキランの観察記録です。
6月中旬頃に咲くと聞いていたため、当初は6月上旬にカメラを設置しようと考えていました。実際に現地を確認すると、想像していたより芽吹きが早く、5月中旬にはすでに地表へ姿を現し始めていました。
急いでカメラを設置し、定点カメラで観察を続けたところ、芽を出してから約1か月かけて、少しずつ花茎を伸ばし、ゆっくりと開花していく様子を記録することができました。
本来は、その後どのように色が変化し、実をつけ枯れていくのかまで観察を続ける予定でしたが、途中でカメラが故障してしまい、記録は途中までとなっています。
視線を足元へ。アプローチの歩き方を変えてみませんか。
高瀬からの道を、ただの通過点にしないでください。少し歩みを緩め、視線を足元に向けてみてください。そこには、ひとつの巨大な生命体として循環し続ける、湯俣の奥深い森の姿が広がっています。
ショウキラン観察会
6月13日(土) 1泊2日
毎年この時期、湯俣の森でショウキランと足元の小さな世界を観察する会を開いています。
参考文献
書籍
- 枯木ワンダーランド
- 菌根の世界
- 森を食べる植物
- 月刊 たくさんのふしぎ「植物」をやめた植物たち
三俣山荘
黒部源流、北アルプス最奥の山小屋。三俣山荘・水晶小屋・湯俣山荘を運営。北アルプス最奥のエリア、鷲羽岳と三俣蓮華岳を結ぶ分水嶺の鞍部に佇み、槍ヶ岳や穂高連峰を眺める山小屋。黒部川の源流域として知られている。周辺には、岩稜あり、花々やハイマツやダケカンバが広がり、沢がはじまっていく。日本の山岳のなかでも特に多様な風景に囲まれている。
