北アルプス黒部源流

Northern Alps Kurobe Genryu

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噂の復活ルート「伊藤新道」は、こう歩け!

~地図だけではわからない、裏話多めのルートガイド~

2023年8月、30数年ぶりに再開通したのが、北アルプス南部の「伊藤新道」だ。
噂の古道の歴史と復活までのいきさつを深く知る山岳ライターが、その裏話と安全に楽しむためのガイドをお届けする。

2023年8月20日、とうとう30数年ぶりに再開通を果たしたのが、北アルプスの古道・伊藤新道。この道は三俣山荘の初代ご主人である伊藤正一さんが巨額の私財を投じて開削し、1956年に通行を開始したルートで、山上の別天地、桃源郷ともいわれる雲ノ平への最短ルートとして湯俣と三俣を最短の距離で結んでいる。しかも最小の体力で登れるようにと可能な限り急勾配の区間をなくし、火山性の成分のために苔も生えない赤茶けた湯俣川と鷲羽岳山腹の森の中を通って、緩やかに標高を上げていく。歩きやすいだけではなく、途中には槍ヶ岳や硫黄尾根の眺められる展望台があり、少しだけルートを外れれば原始的でワイルドな温泉まで楽しめるなど、北アルプスの魅力を凝縮したような道のりである。

2023年8月20日、とうとう30数年ぶりに再開通を果たしたのが、北アルプスの古道・伊藤新道。この道は三俣山荘の初代ご主人である伊藤正一さんが巨額の私財を投じて開削し、1956年に通行を開始したルートで、山上の別天地、桃源郷ともいわれる雲ノ平への最短ルートとして湯俣と三俣を最短の距離で結んでいる。しかも最小の体力で登れるようにと可能な限り急勾配の区間をなくし、火山性の成分のために苔も生えない赤茶けた湯俣川と鷲羽岳山腹の森の中を通って、緩やかに標高を上げていく。歩きやすいだけではなく、途中には槍ヶ岳や硫黄尾根の眺められる展望台があり、少しだけルートを外れれば原始的でワイルドな温泉まで楽しめるなど、北アルプスの魅力を凝縮したような道のりである。

ところで、僕(山岳ライター高橋庄太郎)の伊藤新道へのかかわりは、もともと僕が正一さんの著書『黒部の山賊』の愛読者だったことにさかのぼる。僕は北アルプスを縦走して三俣山荘に立ち寄るたびに正一さんの昔話を聞いたりしていたが、当初はプライベートで、ただの登山客でしかなかった。

そんななかで2009年、僕に雑誌『山と溪谷』から伊藤新道の取材の依頼が入った。僕は以前から“新道”という存在に興味があり、それを踏まえて発注された仕事である。当時はほぼ廃道と化していた伊藤新道を圭さんの案内で下ろうというもので、竹村新道を経由して三俣山荘に入り、下りで伊藤新道を使った。そのころの伊藤新道には往年の切れたワイヤーや吊り橋の跡は残っていたが、ロープのようなものすらどこにもついていない、まさに通行困難なルートであった。

そこで可能な限り歩きやすいようにと秋の減水期を待っての取材となった。“茶屋”で弁当を食べてから湯俣川に下り、9月半ばの冷たい湯俣川の渡渉を繰り返す。現在、ガンダム岩といわれている難所では胸近くまで水に浸かって突破したが、もしも僕ひとりで挑戦していたら初見ではとても通過できず、三俣山荘まで引き返していたかもしれない……。

ともあれ、そこから圭さんとの付き合いが始まった。僕は在庫が売り切れて古書として高値を付けていた『黒部の山賊』の復刊の手伝いをしたり、伊藤新道をテーマにしたNHKの番組にいっしょに出演したりするほど、三俣山荘との関係は次第に深まっていく。同時に僕はまるで伊藤新道の広報担当のように、多様なメディアに紹介記事を書きまくった。もちろん伊藤新道がすばらしすぎる道だからこそ、多くの人に知ってもらいたかったのである。

毎年のように三俣山荘へ出入りしているうちに、圭さんが伊藤新道を再開通させる覚悟を決めたことがわかった。正一さんがお亡くなりになった数年後、2018年あたりだろうか。以前、正一さんにインタビューしたとき、正一さんは同席していた圭さんに向かって、「伊藤新道をいつかもう一度歩けるようにしてくれないか」と遺言のようなものをつぶやいていた。その言葉をとうとう実行しようと動き始めたのだ。

僕は圭さんと伊藤新道を歩き、三俣山荘でメシを食いつつ、いろいろな意見を交換した。ここに避難小屋があれば安全だ、目立つ地形には名称を付けてルート上の目印にしたい、すべての水が湯俣川に流れ込む伊藤新道でトイレの問題はどうするのか、などと。

その後、再開通に先駆けて一度はかけた吊り橋が増水で破壊されるなど多くの紆余曲折ありながらも、伊藤新道の重要ポイントに3つの吊り橋が再架橋され、その他の危険個所にも十分すぎるほどの手が加えられた。

そして2023年8月19~20日には、当初は「伊藤新道開通祭」として企画されていた「ゆまキャン」というイベントが湯俣で開催。伊藤新道はついに復活を遂げたのであった。

なお、僕はゲストとして「ゆまキャン」で伊藤新道について語り、翌日には再開通直後の伊藤新道で三俣へ向かうはずだった。しかし、まさかのコロナウィルス感染によってドタキャンに……。それでも翌9月には再開通した伊藤新道をとうとう歩き、多くの登山者がうれしそうに歩く姿を目の当たりにして、よみがえる歴史に感動させられたのだった。

2023年は良くも悪くも伊藤新道には特殊な年だった。圭さんが「俺が生まれてから初めて」というほど湯俣川の水量は少なく、僕が連れて行った中学生の息子ですら難なく歩くことができるなど、結果的に初心者でも安全に通行することができた。足元がサンダル履きだったり、ヘルメットを用意していなかったりするような準備不足の人でも支障なく歩けてしまったことは、ある意味恐ろしい。続く2024年も水量は少なく、いまのところ重大事故は発生していない。こ2023年もしくは2024年に初めて伊藤新道を体験した人はかつての荒れ果てた伊藤新道をイメージできず、再整備の必要があったとは想像しにくかっただろう。

北アルプスに限らず、日本の山の主要登山道には尾根沿いが多く、伊藤新道のような沢沿いは少ない。沢は台風や雪解け水で増水すれば驚くほどに地形を変え、落石や土砂崩れが多発する。冬には雪崩の巣になり、ときには音速に近いスピードと圧倒的な雪の重量で谷間を襲い、埋め尽くす。だから、沢沿いの登山道は維持が難しい。

それにいくら伊藤新道が復活したといっても、昔は5つあった吊り橋は3つしかかけられていない。しかも、その3つの吊り橋は早くも傷みつつある。十分な知識と力量を持たない登山者が安易に伊藤新道に挑戦すれば、いつ大事故が起きてもおかしくはないと僕は思っている。

これからも毎年、毎年、伊藤新道の状況は変わっていくだろう。それに合わせて臨機応変に対応し、自力で困難を克服していかねばならない。しかし、それが伊藤新道のおもしろさだ。

伊藤新道に足を踏み入れる前には、必ず湯俣山荘や三俣山荘で最新情報を手に入れてほしい。そのうえで、事故を防止するのに役立ち、さらなる楽しみを得られる知識を頭に入れておいてほしい。これに続く他のレポートでは、これまでに何度も伊藤新道に足を踏み入れている僕の視点によるガイド的な要点をまとめている。ぜひ参考にしていただきたい。ただし、もう一度繰り返すが、伊藤新道の状況は毎年変わっていく。現場で最終的に適切な判断を下すのは、それぞれの登山者自身だ。

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